大阪高等裁判所 昭和26年(う)1252号 判決 1952年1月29日
控訴人 被告人 土出達
弁護人 山下知賀夫 島本貞一
検察官 折田信長関与
主文
本件控訴は、これを棄却する。
理由
本件控訴理由は末尾添付の各弁護人提出の控訴趣意書の通りである。
(一)山下弁護人の控訴理由第一点及び島本弁護人の控訴理由第四点について。
弁護人は、原判決は判示第一において架空人名義を用いて作成した私文書偽造行使の事実を認定し有罪の判決をしたけれども我国従来の判例に反するばかりでなく、原判決が本件有罪説の論拠とした最高裁判所の判決の趣旨もまた我国従来の判例に従つたものであつて、原判決説示のようにこれを変更したものではないと主張する。
よつて原判決を調査するに、原判決の確定した判示第一の事実は、被告人は川上村須田郵便局長として同局事務を監督し、為替貯金、簡易保険の募集、金銭の出納保管等の業務に従事していたものであるが、架空人の名義を用いて偽造の保険申込書を作成行使して同局に割当てられた簡易保険募集額の割当責務の達成を装わんことを企て、別表第一記載の各年月日頃いずれも右郵便局においてインクを用い行使の目的を以つて、各保険申込書用紙に同表記載の各契約者の署名を冒用し、同表記載の各保険金額、被保険者、保険金受取人、払込場所等保険契約者において記入すべき必要事項を擅に記入し、各保険契約者被保険者の名下に同局にあつた三文判又は借受判を冒捺し、もつていずれも架空人である同表記載の今立正三外四名名義の保険申込書合計九通を夫々作成偽造した上、同年四月上旬頃情を知らない安達栄子に命じて右各申込書を真正に成立した文書として京都地方簡易保険局に一括して送付し、其の頃同局に到達受理させてこれを行使したというのであつて、押収に係る右今立正三外四名名義の保険申込書を検するに、同書は被告人が右郵便局備付の印刷せられた保険申込書用紙を使用したものであり、冒用した架空人の氏名はいずれも巷間通常用いられるものに類似しているものであるから右用紙に記入せられた以上、一見第三者をして実在人のように思い込ませ得るものである。しかして、被告人は他の真正の実在人の保険申込書と同様にこれを取扱う目的で作成したものであるからそれは今立正三外四名が実在しているものの如く作為したものと見るのが相当であり、又当局並びに一般人をして左様に誤信させるおそれの充分にあるものである。従つて、たとえ本件保険申込書の各契約者が架空人であつても、被告人の行為は文書に対する公の信用を害する危険があるのであつて、私文書偽造行使罪を構成するものと解すべきである。(最高裁判所昭和二十六年五月十一日第二小法廷判決参照)、私文書偽造罪は公文書偽造罪と共に文書の公の信用を保護する規定であつて、個人の法益を保護することを目的とするものではない。従つてかような観点に立つて考えてみると、偽造文書にして真正な文書と信ぜさせるに足るものである限りは名義人が実在すると否とにかかわらず、右偽造文書は文書の公の信用を害しひいて社会の秩序を紊すものである。このことについては公文書たると私文書たるとその間、毫も差別しなければならぬような理由が発見できない。それゆえに、原判決が本件私文書偽造罪を有罪と認めたのは右説示の通り正当であるといわねばならない。
弁護人は、架空人名義の私文書偽造が罪とならないことについては、我国の従来の裁判例が確定一致しているように主張するので従来の判例の主なるものを概観してみるに、この点に関して一般に援用せられている大審院判決は次の二つである。
(イ)明治四十五年二月一日大審院第二刑事部判決(大正元年大審院刑事判決録十八輯七五頁)
刑法第百五十九条ノ文書偽造罪ヲ認定スルニハ、行使ノ目的ヲ以テ他人ノ名義ヲ冒用シテ権利義務若クハ事実証明ニ関スル文書ヲ偽造シタル事実ヲ判示スルヲ以テ足ル。故ニ、其ノ名義ヲ冒用セラレタル者ガ現実存在スル人ナルコトヲ要スルヤ勿論ナリト雖モ、連続シテ多数人ノ文書ヲ偽造シタル事実ヲ判示スルニハ、署名者ノ一、二人ニ付キ特ニ氏名ヲ掲記シ、其ノ他ハ之ヲ省略シテ唯「外何名」ト概括的ニ説示シ、且ツ其ノ存在ヲ確認スベキ住所等ヲ詳記セザルモ事実理由ノ明示ヲ欠クモノト謂フベカラズ。蓋シ一、二人ノ氏名ヲ掲記シ以テ現実存在セル人ノ名義ヲ冒用シタル事実ヲ確定スル以上ハ文書偽造罪ノ事実判示トシテ足ラザルコトナク、其ノ他ノ者ノ氏名住所等ヲ掲記スルノ必要存セザレバナリ。
(ロ)大正六年七月十四日大審院第三刑事部判決(大正六年大審院刑事判決録下八五四頁)
苟モ実在セル他人ノ氏名ヲ冒用シテ文書ヲ作成シタル以上ハ其ノ検査役タル資格ノ虚無ナルト否トヲ問ハズ文書偽造罪ノ構成要件ヲ具備スルモノナレバ、原判決ガ本件ニ於テ検査役ナルモノノ虚無ナルニ拘ラズ実在者ノ氏名ヲ冒用セリトノ理由ニ基キ本件検査報告書ノ作成ヲ以テ文書偽造罪ナリトセシハ相当ナリ。
右各判決で明らかなように、大審院は私文書偽造罪における名義人は当然実在人たるべきものとして、その理由を少しも説示しておらないのである。しかも、右(イ)の判決は右引用の判旨を判示するの外、文書偽造罪の侵害法益について次のように判示しているのである。
文書偽造罪ニ因リ侵害シタル法益ハ署名者各自ノ信用ニ非ズシテ、寧ロ文書ノ真正ニ対スル公ノ信用ニ存スルモノナルヲ以テ偽造文書ノ侵害スル法益ノ箇数ハ署名者ノ数ニ応ジテ存在スルモノニ非ラズ。(判旨第六点)(同旨判決最高裁判所刑事判例集第三巻第四号五四三頁)
この判旨のように、私文書偽造罪が公の信用に対する犯罪であると考えるならば、当裁判所が右に説示したように、苟くも偽造私文書にして真正の文書と誤信させるおそれある限りは名義人の虚実を問わず私文書偽造罪の成立を認めるのが理論上正しいと解する。
また、大審院の判決にも架空人名義の私文書偽造罪の成立を認めている趣旨に解せられないこともないものがある。すなわち
大正八年十一月四日大審院第一刑事部判決(大審院刑事判決録第二十五輯一〇六三頁)は
株式会社ノ設立カ当初ヨリ無効ナリトスルモ既ニ其ノ設立ガ登記セラレ事業ガ着手シ得ベキ状態ニ在リタル以上ハ、該会社ハ形式的ニ存在スルヲ以テ其ノ設立無効ノ判決確定シ其ノ登記アリタル場合ニ非サル限リハ株式会社ハ其ノ存在ヲ失ハザルヲ以テ仍ホ人格ヲ保存スベク、従テ其ノ名義ヲ冒用シテ文書ヲ作成シ若ハ会社ノタメニスルニ非ズシテ其ノ名義ノ帳簿ニ虚偽ノ記載ヲナシタルトキハ当然文書偽造罪成立スベシ。
と判示している。
右判決は会社は実在することすなわち、実体法上有効に成立していることを要しないで、形式外観上実在したものとして取扱われる場合に、会社名義の冒用をもつて本罪の成立を認めているものと解せられるのである。しかして、大審院判決は明治四十二年十二月二日以来(大審院刑事判決録十五輯一七一八頁)死亡者名義の私文書についても一般私文書と同じ理論に従い生存中の日附を溯記した場合にのみ本罪の成立を認めて来たのであるが、最高裁判所は昭和二十六年五月十一日右大審院判決の態度を改め、たとえ私文書作成日附当時名義人が既に死亡していたとしても、生存中に作成したものの如く作為し、且つ一般人をして左様に誤信させるおそれのある場合には私文書偽造罪の成立を妨げない旨判決するに到つたのである。(最高裁判所刑事判例集第五巻第六号一一〇二頁)
死亡者名義の文書も虚無人名義の文書もその文書偽造罪の成否に関する理論については同一であるとするのが学説判例の一致するところであるから、最高裁判所は従来の大審院の態度に変更を加え虚無人名義の文書についても有罪説に加担しているものと考えられるのである。従つて原判決が本件保険申込書の偽造行使を有罪と認めたのは正当である。論旨は漫然と従来の判例の立場を主張しているにすぎないし、且つ従来の判例はいずれも本件に適切なものでないことは右説示の通りである。
(二)山下弁護人の控訴理由第二点前段及び島本弁護人の控訴理由第一点について
弁護人は、原判決は証拠として裁判官の野村久子に対する尋問調書を掲げているが、同女の供述は虚飾を極め、矛盾撞着を極め、感情的で合理性がなく精神状態すら疑わしめるものがあり、右供述は原審証人安達栄子、丸山武子の供述によつて全部排斥せられておると主張するけれども、記録を精査しても所論のような事実は認められない。弁護人は、証人野村久子が自己矛盾の供述を追及せられて記憶がないと答え、被告人の知情の点を供述し、自己との共犯責任を負わしめんことに汲々としていると非難するけれども、共犯の疑ある証人が自己に不利益な供述を拒み得ることは刑事訴訟法第百四十六条の明定するところであり、且つ共犯の疑ある証人が少しでも自己に利益な供述をしようとするのは人情の自然であるが、これがために右証人の供述は全て合理性がないとはいえない。同証人の供述を信用するかどうかは他の証拠や経験則に照して考慮すべき事項であつて、原審が右証人の供述を信用したことについては記録上少しも違法の点は発見できない。しかして原審証人安達栄子、丸山武子の各供述によれば、被告人は保険の募集について他の局員と一緒に行つたことはないが野村久子とは良く一緒に出たと述べているので、被告人と野村久子の間にいかなる話合があつたかは右各証人の供述によつては否定も肯定もできないのである。
更に弁護人は、本件は保険募集について当局が不当の割当をしたためこれを消火せんとして手続の便宜上自己局内に仮住所を定めて加入手続をしたものであり、且つ野村久子が不問に付せられているのは検察事務の適正を疑わしめるものであると主張するが、記録を精査してもかかる事情を認められないばかりでなく、たとえこのような事情があつても本罪の成否に関係はない。
弁護人は、野村久子の供述は敵意から空想的事実を織り交ぜた虚偽、虚飾、空想的供述で経験則に反すると主張するけれども、記録を精査しても所論のような疑は毛頭発見せられない。
弁護人は、野村久子の供述中「山下俊蔵、谷口はる、山下巳代治、谷口つた、谷口清、谷口光治、谷口光登以外は私で書きました他は局長さんが書いたものです」という部分を弁護人の記憶を根拠として事実に副わないと非難しているが、右供述中「以外」は誤記で削除さるべきものであることが一読容易に判別せられるのであるから弁護人の記憶による非難は当らない。
なお弁護人は、被告人と共に調査したところによれば野村の供述は出鱈目であると主張しその片言を捉えて非難しているけれどもいずれも被告人の弁解を重視し故意に野村の供述を非難しているにすぎないのであつて原審の採証に疑はない。
(三)山下弁護人の控訴理由第二点後段及び島本弁護人の控訴理由第二点について。
弁護人は、本件第一事実は法律上証拠上無罪であり、第二事実は被告人が正当なる業務と信じて保険募集手当を支給したにすぎないから無罪であると主張するけれども、原判決確定の事実は全て原判決挙示の証拠で充分に認められ、記録を精査しても事実誤認の疑は少しもなく、被告人の弁解を措信するに足る証拠はない。
弁護人は、被告人は本件保険申込書の名義人が架空人であることは全然知らず真正の申込があつたものと信じていたと主張するけれども、その理由のないことは原判決説示の通りであつて、弁護人はこの点についていろいろと想像に基いて立論しているが全て根拠のない独断論である。更に弁護人は原判決が証拠として採用した野村久子の日記は後日何等かの目的のために創作せられたものであると主張するけれども、さような証人はないし、右日記を検討してみても原審の採証に違法があるとは考えられない。弁護人は、仮りに当時記載せられた日記であるとすれば、被告人に利益であると主張するが、たとえ被告人の利益に解し得らる部分があるにしても、その他の原判決挙示の証拠と綜合して原判示事実の認定に役立つのであるから論旨は意味がなく、また原判決が本件の特殊事情を顧慮しなかつたいう弁護人の非難は何等の具体性はなく、原判決には少しも非難せらるような理由はない。
(四)島本弁護人の控訴理由第三点について。
弁護人は、原判決は判示第一事実で被告人が保険申込書九通を偽造した事実を認めたが、被告人は野村久子の依頼により機械的に代書したにすぎない。
今立正三外二名の名下の三文判は野村久子が押印したものである。従つて被告人には本件私文書偽造罪の責任はない。仮りに責任があるとしても原判決には正犯か幇助か理由不備の違法があると主張する。
しかし、原判決確定の事実は全てその掲げる証拠で充分に認められ、記録を精査しても被告人の弁解を措信するに足る証拠はない。また原判決は被告人を私文書偽造罪の正犯として処罰していることは原判示自体で明瞭である。理由不備の違法はない。
(五)島本弁護人の控訴理由第五点について。
弁護人は、原審の科刑は不当であると主張するけれども、所論を考慮に入れて記録に現われた諸般の情状を考察してみても、原審の科刑は相当であつて不当な量刑ではない。
よつて刑事訴訟法第三百九十六条を適用して主文の通り判決する。
(裁判長判事 斎藤朔郎 判事 松本圭三 判事 網田覚一)
弁護人山下千賀雄の控訴趣意
原判決は被告人が(一)架空人今立正三外四名名義の簡易保険申込書九通を偽造して京都地方簡易保険局に提出行使し、(二)瀬田一成外二十八名の保険契約は野村久子の偽造にして架空なることを知悉し乍ら同女に対し自己が業務上保管中の公金中より合計金六万参千弍百弍拾六円の募集手当を支給して横領した事実を認定して被告人に有罪の判決を言渡したが、事実の誤認及び法律の曲解も亦甚しきものと謂わなければならない。
第一、原判決が右第一の虚無人名義の私文書偽造が法律上犯罪不成立なる旨主張する原審弁護人の所論に対して加えたる判断は本件を有罪に認定せむが為に従来の判例と学説を無視し判決書に於て新たなる学説(京大宮内助教授の所説を支持して)を展開したに過ぎないのである。勿論従来と雖も虚無人名義の私文書に対し犯罪の成立を主張する学説(リスト、フランク、オルスハウゼン等)なきにしもあらずであつたが通説と我国の判例が消極説を執り、実務上之が維持せられていることは既に数十年に亘つているのである。原判決の引用する昭和二十三年十月二十六日最高裁判所第三小法廷の判例は孰れも法人の機関として虚無人名を使用されていても法人が実在するときは、該私文書は偽造であると云う単にそれ丈の趣旨であつて決して原判決所論の如く形式主義から実質主義に変更したものでないに拘らず原判決が右判例を以て直に多年の消極説を覆し虚無人名義の私文書の偽造が全面的に犯罪であると結論したのは、速断も甚しく判例を無視し遽かに一学説に左袒した誤判であつて当然破棄せらるべきものと思料致します。
第二、原判決は有罪と認定した前記二個の判示事実に付て実行正犯野村久子の供述を採用している。然し乍ら野村久子の供述が虚飾に富み、矛盾撞着を極め感情的なものであることは其の調書を通読してよく解ることであり、例えば自己の矛盾せる供述を追及せらるるや「昭和二十四年度のことをよく記憶しているが昭和二十五年一月以降四月二十八日退職までの出来事(本件に関係ある期間)は記憶していない」と不可解の陳述をなし、被告人と意思の連絡ありしや否の訊問に対して「局長(被告人)が保険料を立替支払つた」「契約者が川上村に住んでいない」「局長が有合印を押した」「局長が掛捨保険の話をした」等により被告人の知情の点を立証し、以て自己との共犯責任を負わしめんことに汲々としている形跡があつて其の陳述には毫も合理性がないのみならず其の精神状態すら疑わしむるものがあるが、斯かる虚飾に富む供述を証拠に採用し断罪の資料に供するは甚だ危険であるばかりでなく、却つて右の片言隻句は証人安達栄子、丸山武子の供述によつて全部排斥せられて居り、且つ当時保険局が保険募集について一寒村局に巨額の割当をなした為、之を消化せんとして他局内の者を手続の便宜上自己局内に仮住所を定めて加入手続を取つたものであつて他意はないのであります。而も本件は実行正犯にして不正の利得者である野村久子は不問に付せられ独り被告人のみ訴追を受け罪刑の責任を負わしむると云う奇異の現象ある事件であつて其の検察事務の適正すら疑わしむる案件であります。
要するに本件第一事実は法律上証拠上無罪であり、又第二事実は被告人の供述及び証人安達栄子、丸山武子等当該事実に直接関係ある者の供述によつて綜合判断すれば被告人は架空契約なることを知らず他局内の実在人物を自己局内に仮住所を定めて手続するものと確信して保険申込書の代筆をなしたものであり、従つて之に保険募集手当を支給したことは正当なる業務と信じていたのであるから業務上横領罪の成立するに由なく従つて全部無罪の判決あるべき案件であります。
仍て当審に於て原判決を破棄の上根本的に事実の再審理を賜らんことを希望致します。
弁護人島本貞一の控訴趣意
第一点原判決は判示第一及第二の事実について夫れ夫れ証拠として裁判官の野村久子に対する訊問調書を採用せられているが、此の訊問調書の供述は証拠としての価値のないものである。
申す迄もなく現行法上に於ては形式的に適法とされる証拠方法については其の証明力は裁判官の自由な判断に任されてはいるが併しそれは裁判官の専断を許すと云う意味ではなくして、単に法規に依る形式的な拘束のない意味に於ての自由であつて根本的な法律の理念に依る制約は免れないものと信ずる。
即ち刑事訴訟法の要求する実体的な真実を発見するが為めには与えられた個々の証拠方法につき、其の証明力を量り、而も出来得る限りに客観的な其の証拠価値を判断しなければならない。
されば証拠に依る事実の認定は純粋な自由裁量の問題ではなくて一般の経験上の法則乃至は論理上の法則に依つて行われなければならない。従つて形式上適法な証拠であつても経験上全く証明力のないものと認められるものについては、これを採つて事実認定の資料となすことを許されない。
前掲野村久子の供述の如きは被告に対しての甚しい敵意から断片的な事実に全く根拠のない空想的な事実を織り交ぜた虚偽虚飾空想的な供述であつて経験則上全く事実認定の資料となし得ないものである。この訊問調書の全趣旨からも容易に窺知し得るように検察官の訊問に対しては迎合的な供述を為し居るが、弁護人の訊問に対しては著しく敵意が表れ事実の核心を突かんとすれば覚えません、存じませんと遁辞を弄し更に追求すれば一昨年のことは良く覚えているが昨年のこと、殊に本件に関係ある一月乃至四月迄のことは色々のことがこんがらかつて全く判らぬと云うのであり、現在の自分の心中は一月何日かに見た夢の通りでこれを御覧下さいと夢物語まで差し出したのである。このことは訊問調書には現れていないが吾々訴訟関係人が共に見聞したことで(夢物語の写は山下弁護人所持)これは一体何事を物語るものであろうか、弁護人は証人の心理状態を疑い、直ちに其の精神鑑定を申請した程である。此の心理状態の下に為された供述が果して証拠としての価値を有するであろうか、断じて否定せざるを得ないのである。斯る心理状態の下に為された供述であるが故に其の供述は前後矛盾虚偽虚飾空想的なもので事実を調査して唖然たらざるを得なかつたのである。其の供述中に山下俊蔵、谷口はる、山下巳代治、谷口つた、谷口清、谷口光治、谷口光登以外は私が書きました他は局長さんが書いたものです云々と供述して居り此の通りだとすると山下俊蔵、谷口はる、山下巳代治、谷口つた、谷口清、谷口光治、谷口光登名義のものは被告が書いたもので他は全部野村が書いたと云うことになつて此の証言は事実に副わぬのである。弁護人の記憶するところでは野村の言わんとしたところは此の山下俊蔵以下名義のものは自分のあづかり知らぬところで此の分は被告が名付親で其の他の分は全部自分が考え出した架空名で自分が名付親であつたと云う意味であつたと記憶しているのである。ところがそうなると山下俊蔵以下名義のものは野村はあづかり知らぬと云うことになるが、此の山下俊蔵以下名下の申込書の印判を見るとこれは三文判ではないし、野村の供述に依ると此の谷口、山下等名下の認印はいづれも自分が氏名に応当する印判を他から借り受け押したものであると述べて居り、又本件の架空保険については被告と共謀の事実は全くないと供述しているのであつて前後に矛盾があるし曖昧なもので、どこからどこまでが真実なのか、全く真疑の程が判らぬのである。又福知山で人家を訪ねたのは伊藤の家以外にはないと云うので事実を明らかにするため弁護人は被告と共に福知山迄行つたのである。伊藤の家は直ぐに判つたが他の家は名前が判らぬので被告のあわい記憶をたどつて苦心の上漸く探し求めた其の家は駅前を真直ぐに行くと銀行があり、右手に道を取つて少し行き又右に道を取つて少し行つた処の大変判りにくい処であつたが、被告が確か此の辺でまつていると野村は保険を頼んである家があると云つて、あの辺の家に這入つたと云うので、其の辺の家を探すと辻本つるゑと云う女の標札の家があつた、此の辻本つるゑと云うのは弁乙一、二号証にある辻本つるゑであり意外の発見に今更驚くと共に、このように辻本つるゑは実在の人であるから保険原簿が福知山局へ廻送になれば架空保険が暴露する危険があり、野村に於て安達保険係より発送した原簿廻送の郵便物を押えることが出来なかつたところから集金前につるゑをいゑに訂正してもらい其の間に何等かの方法を構じんものと被告に対して弁乙二号証の訂正願を依頼し其の手続を執らしめた事情を察し得たのである。又昨年宮津税務署に河田百合子と云う者を訪れて保険募集に行つたと供述しているがこれも弁甲一号証の通り此のような人物は該税務署に在職した事実の無いことも明らかとなり、更に奥大野村田村静枝という人を訪ねて保険の募集に行つた併しそれは一昨年の事で昨年は其の家に行つた事はないと供述しているがこれ又調査の結果弁甲二号証の通り著しく事実に反するのみならず更に驚くべき事実迄も明らかになつたのである。又其の供述中に妻が夫をかばうのは当然であるとか其の気持ちは現在も変りはないとか、如何にも糟糠の妻でもあるかのような事を云つているが現実はこれに反し被告は野村の供述に基いて訴追せられたのである。更に局長さん私の前でよくそんな事が云えますねと如何にも被告の云うことが出鱈目であるかのように云つているが果して何れが出鱈目であるかは前叙の引例に依つても明かである。野村のこの妻が夫をかばうのは当然である。其の気持ちは現在も変りはないと云うのは被告に対しての慰藉料問題を有利に展開せんとする一つの方便であり、局長さん、よくそんなことが云えますねと言つた真意は自分を棄ておきながら其の上に苦しい自分の立場も察せずによくそこ迄追求が出来ますねと被告に対してのあてつけと著しい敵意を示した言葉である。これは二、三の例にすぎないが斯くの如くに前後矛盾虚偽と虚飾空想的而も前述の心理状態の下に於てなしたる証言供述は経験則上全く証拠としての価値はないもので事実認定の資料とはなし得ない斯る証拠を輙く断罪の資料に採用せられた原判決には採証の法則に違反があり従つて其の理由にくいちがいがある。
第二点原判決は被告人は判示各保険申込は当時同局の女事務員であつた野村久子が勧誘したもので、同人は共の親戚に岡田惣一とて丹後丹波但馬一円に亘り手拡く牛馬商を営んでいるものがあり、同人の紹介に依り勧誘したと申していたので自分は野村久子の其の言を信じ或は判示第一の如く申込書の代筆をなし或は判示第二の如く其の募集に対する手当を支給したもので申込者が架空人であることは全然知らなかつた旨供述しているけれども被告人の右供述は前顕証拠により認められる(一)被告人と野村久子との当時の交際関係(二)本件申込書が昭和二十五年一月三十一日から同年四月二十八日迄の間僅か三ケ月間に保険金額三百五十三万五千円、保険料額四万七千七百九十円の異常な高額に上りしかも同一の契約者が一口五万円のものを数口加入し其の申込書全部が保険約款に反して契約者の作製したものでなかつた点(三)右申込書記載の川上村在住の契約者がいづれも川上村に居住していない者である事を被告人に於て承知していた点(四)契約者の住所は真実の居住地を記載すべきであつて事実に反して川上村とする必要の認められない点(五)本件申込書中判示第一以外の分についても被告人の筆蹟になるものが多数存し又申込書面の摘要欄の如きは瀬田一成分を除き殆んど被告の筆蹟と認められる点(六)被告人に於て第一回保険料の一部を支弁している点等本件に顕れた諸般の事実事情に照し到底信を置き難いところであり、被告人が以上のような事実関係のもとにあつて猶架空保険であることに気附かず野村久子の言うが儘に唯々諾々として代筆し又保険募集手当を支給したというが如きは吾人の経験則上も首肯しがたいところであるから被告人の上記弁解は採用出来ないとして排斥せられた。成る程現在から過去を顧み正常な状況の下に而も正常な意志活動に基く被告の行為として正常人が前掲事実事情に照して判断するなれば、被告が架空契約であることに気付かず野村久子が言うが儘に代筆し又募集手当を支給するが如きは経験則上首肯し難いところであるが、これでは事件の実体的な真実を発見することは出来ない。事件の実体的な真実を把握する上には当該事件の特殊性に立脚し事件発生当時の主観客観的事情を基準として経験則を適用して過去の事実を想像の上に再現しなければならぬと信ずるが原判決では主観的にも客観的にも本件発生当時の特殊性が判断の裡に考慮せられていないようである。本件架空保険が発覚した端緒は被告が原審に提出した第一上申書の通り野村久子の郵便貯金の不正行為の発覚からであるが、これに関連して同人の架空保険を計画したと思われる動機原因について考え見るに、野村は原審に於て「割当の来た額だけの保険募集が出来ない時は局長さんは一日中事務室に居り気嫌が悪く又私が募集の成績をあげないと言わぬばかりの素振りをされ為替貯金、保険年金の係りである私として見ているのがつらい」と言うのが一つの理由で次に「日時は忘れたが局長に対して辞めさせてくれるように頼んだところ保険の募集も出来ていないのにと怒られたことがある」このような理由から架空保険を作つて割当を完了すれば辞めさせてくれるだろうと思つて架空保険を思いついたと云うのであるが仮りに野村の云う通りに局長である被告が保険の募集が少いと一日中事務室に居て気嫌が悪かつたり、こわい顔をしたりしたとしても野村に対してのみ其のような顔したわけでもなかろうし又保険の割当にしても別に野村に対して割り当てられているものではないのだから保険が完了出来ていようがいまいが辞めようと思えば局長が何と言おうと自由に辞めたら良い訳だし如何に局長だからと言つて保険が出来ていないと言う理由でそれを阻止する権利も権限もないのである。当時の野村の他の行為から推して同人がそんなに責任感の強い人とも思われぬし、今更そんな理由をつけても直ちに信用する事は出来ない。それは単なる弁解であつて当時の状況からして野村は局を辞めたいと云うような意思は毛頭もなかつたことが信じられるのである。何んとならば当時野村は郵便貯金関係で不正行為があり、而も其の不正行為は尚継続せられていたのである。若し野村が継続して勤務して居ればこれ等の不正もかくしつくろうことは出来るのであろうが、其の職を去れば早晩発覚の危険にさらされるのである。現に辞めたが故に日ならずして直ちに其の不正は発見せられ刑事上の処分迄も受けたのである。相当才智に丈けた野村がこれ位のことが判らぬ人物とは思われぬ。其の本心は一日も長く其の職にとどまりたいのが人情でもあり恐らく念願であつたろうし其の念願を達するが為めにも傍ら不正を持つ自己防衛の上からも保険の割当達成のために焦慮している被告局長の弱点に深く喰い入り色事と架空保険をもつて其の歓心を買うべく奔命したであろうことが想像し得る。ところが世間で局長との噂が段々と高くなるし迎えた養子との間も面白く行かぬし、そんな訳で母からは早く局を辞めるようにせきたてられるし、ここに進退両難に陷入つて悩みに悩んだ末不本意ながら辞めざるを得なくなつたものと思われ兎角ままならぬは人の世の常で当時の野村の心情転々同情を禁じ得ない点もあるのである。それなるが故に被告に対しての愛情もさることながら架空保険についても細心の熟慮を払い保険手続上の欠陷を究め且つは架空保険の情を知られざらんが為めに巧妙な偽装方法を考え用いたことが伺い知られるのである。
安達証人の供述にもある通り局に残される書類、簡易保険局に残される書類等を確め安達証人に対して「保険てたよりないものだね」との一言をもらし居りたる点、次に岡田惣一なる者の地位を巧みに利用した点、これ等を思えば誠に妙を得たもので多額の保険を募集するには他管内に求めなければならぬこと而も相当広範囲に亘らなければならぬこと自分自らの募集としては真実性に乏しいと云う点に迄思いをめぐらし、ここに山陰方面に相当手広く牛馬商を営み仲間の間にも重きをなす前記岡田惣一をかつぎ出したところなど全く深慮遠謀頭の良いところに驚かざるを得ない。そして被告がかねがね全局員に対して管外に募集に出ることは気がねでもあろうから力づける意味で途中を自分も一緒に行つてやるからと伝え居りたるを幸い岡田の処から募集先を紹介してもらつて来たからと福知山、宮津、峰山、豊岡方面迄被告に同行を求め、福知山では伊藤義雄、其の他、宮津では税務署、峰山では税務署、同和銀行支店、豊岡では勧銀支店、其の他等に行き被告を外に待たせておいて四十分乃至は一時間位してから出て来て、岡田が連絡していてくれたので沢山取れた等言葉巧みに被告を信用させていたのである。
各局に於ての保険募集成績が発表せられるのは毎月十日目毎である。それで被告は各局員に対して十日目毎に少々でも募集が出来ていたら出してくれるようにと催促して来たのであるが野村はまだ少いからも少し取つて他局をあつと言わせてやるからと十日目毎には出さず起訴状によつても知り得る通り大体月末に大量のものを出しているのである。月末とか月始めと云うものは何れの役所でもあれこれと忙しいものであるが、この月末の忙しい時期をねらつて他の者に迄代書を依頼し一潟千里に運んだところにも今から考えると意味深長なものがあつたと思われる。次に原判決に摘示せられているように申込書記載の川上村在住の契約者がいづれも川上村に居住していないものであることを被告が承知していたこと、契約者の住所は真実の住所地を記載すべきであるのに事実に反して川上村としたこと更に申込書全部が保険約款に反して契約者が作成したものでなかつたことは被告の不利益に解せられる点であるがこれとて実際の取扱慣習から全然理由のないことではないのである。
此の川上村に住所をしたのは元々野村の依頼からであり、この依頼を受けて被告が不審を抱かなかつたのは申込書の住所は簡易保険については取扱上左程重要なものではないこと、又従来からの被告の取扱方針として須田局で募集した保険証券は一応全部自局に到着せしめて調査の上募集者本人に持参又は送付せしめて感謝の意を表せしめるを慣習としていたこと、尤も保険証券を自局に到着せしめるには契約局を須田局となしおけばよいのであるが管外からの募集は道義的に遠慮しなければならぬと云う被告の先入的観念が支配して野村の依頼と相反するものでなかつたので敢て不審も抱かなかつたのである。原判決判示の通り保険約款第二十四条には保険契約の申込をしようとする者は左の事項を記載した保険申込書用紙に記名押印の上云々とあつて契約者の作成したものでなければならぬことになつているが実際の扱いとしては規定通り厳格には扱われていないのではないかと思われる。保険は結構な制度ではあるが、どういうものか大衆からは嫌われる向がある。親戚知己とか勧誘員の熱心さに根負けして加入すると云つたのが多い実情で勧誘員のサービス宜しく所要事項の如きも皆代書してくれるのが実情であると思う。石田証人は加入者の家に行き入つて貰う時には申込書を加入者に記入して貰つて云々と供述して居るが当日は郵政監察官が在廷し証人の供述を筆記すると云つた有様で証人の心理的影響も考えられ、果して取扱実情に副う供述か否か期待することは出来ない。更に考えられるのは弁乙二号証の被告作製の訂正願と被告が野村をして宮津税務署に架空保険の証券を送付せしめた事実である。瀬田一成名義の保険契約原簿並徴収原簿が福知山局へ廻送せられたのは弁乙一号証の保険事務日誌に依ると三月二十九日で安達証人が野村の指示で最初辻本つるゑ方として福知山局に廻送したのであるが、其の後野村から辻本つるゑとしたのは辻本イエの誤りであつたから訂正願をして貰いたいと申出に依り被告が其旨福知山局へ出した書面で弁乙二号証は其の写である、若し被告が架空保険の事実を知つていたものなれば、このような愚は為さなかつたであろう、誤りにつき返戻ありたしとか何とか他の方法に依つて書類の返送を求め局宛文書は局長として自己が開披するを幸いに「うやむや」に葬つてしまつたことであろうが、自己に毛頭やましい点がなかつたが故に斯く正規の手続をふんだのである。被告が野村をして架空保険の証券を宮津税務署に送付せしめたのは野村の供述に依ると被告の丸山事務員に対してのあてつけのように供述して居るが、当時被告には野村の架空保険をあばいて窮地に陷入れんとする敵意は毛頭考えられぬことであるし若し被告が架空保険の事実を知つて居れば必然被告にも累の及ぶことであり、又架空保険の事実が発覚すれば募集成績にならぬことは被告も充分心得ていることで折角心血を注いだ目標達成の為の努力も水泡に帰してしまう訳で、仮りに被告が丸山の居るところでは野村にあてつけをするようなことがあつたとしてもそんな無謀無智のあてつけは到底考えられぬことである。これは野村が局を辞めて四月三十日何かの用件で局を訪ねて来た時被告が保険証券の来た分で契約者に渡してないものがないか否かを尋ねたところ野村は今迄の分は全部渡してあるが宮津で募集した分が手許に残つているとの事であつたので被告は何時も云う通り保険証券を届ける迄は局の責任であるから直ぐ送つておいて貰いたいと云つた処野村は事務室に行つて宮津税務署宛に送つたのである。野村はそれ迄の保険証券を全部焼却処分しておき乍ら何故に其の証券だけを送つたかと云う点であるが、これは野村が被告から問われて不用意にも宮津の分が残つていると云つてしまい既に局を辞めているので後でと云うことも出来ず、それとて送るをためらえば、これ迄の架空保険をあやしまれると云う懸念から運を天に任せてあわい望みをかけて礼状迄添えて送つたものとしか考えられぬ、更に四月中頃大野、豊岡に廻送した保険原簿等が返送されて来た時被告が執つた処置である。これについては被告は野村にも質し又此の書類は保険係の安達に渡しているのである。被告が架空保険の事実を知つて居ればどうしてこんな書類を保険係の安達に渡したのであろう、局宛文書は全部被告が開披するを幸いに毀滅してしまえばそれ迄のことであるが其の挙に出でずこれを保険係に引渡したのは被告は架空保険であることには気付いて居らず真正に成立した保険なりと信じ居りたるが故である。尚被告は原判決判示のような一部保険料を支給した事実は絶対にないのである。
要するに本件の成否の鍵は被告が架空保険の事実を知悉し居ながら尚且敢えて其の挙に出でたものか否かと云う点である。この被告の知、不知を論ずるは故意の問題であり、善良な管理者の注意をもつてすれば不正の保険契約であることを知り得又知り得べかりしに拘らず不注意若しくは怠慢の為めに善良な管理者の注意を怠り延いては不法の結果を生ぜしめたとする過失の問題ではないのである。従つてこれが決定の基準は過失の如く通常人の注意義務乃至は能力を基準として客観的に定められるべきものではなくして当該本人の能力を基準として主観的に定められるべきものである。されば其の本人にして或は一を知つて十を悟る者もあれば或は五を知つて漸く十を悟る者もある訳で本件被告の如きはどちらかと云えば感のにぶい方で正直一点張りで馬鹿正直の程丸い人物である。正直な者は亦人を信ずるのが常で殊に本件当時被告は簡易保険の割当達成に焦慮して居り昔から、かなわぬ時の神だのみとか、こんな時には常人には馬鹿らしいような迷信的なことも容易に信ずるものであるが、被告も矢張り此の心理に左右され前叙の特殊事情の下に一にも野村、二にも野村只一途に野村を信じ其の甘言に乗ぜられていたのである。原判決は証拠として野村の日誌を採用せられているが此の日誌たるや色物語と云うか恋物語と云うか愚人の夢にも等しいもので通常日誌の態を具えたものではなく正しくこれは何等かの目的の為めに後日創作、作成せられたものとより考えられない。
仮りにこれに似通うような事実があつたとしても、これこそ野村に対する感謝と極度の信頼から互に情愛に迄移り変つたもので益々被告の注意能力を減退せしめた所以であつて寧ろ被告の為利益な証拠であると考えられる。
原判決は第一点所論の如く証拠としての価値のない証人野村の供述を過信し此の供述に他の証拠を綜合して事実を認定せられ本件の特殊事情殊に反証等を顧慮せられなかつたところから事実に誤認がある。
第三点原判決は判示第一に架空名義を用いて偽造の保険申込書を作成行使して同局に割当てられた簡易保険募集の割当責務の達成を装わんことを企て、別表第一記載の各年月日等いずれも右郵便局においてインキを用い行使の目的をもつて各保険申込用紙に同表記載の各契約者の署名を冒用し、同表記載の各保険金額被保険者保険金受取人払込場所等保険契約者において記入すべき必要事項を擅に記入し各保険契約者被保険者の名下に同局にあつた三文判又は借受判を冒捺し以ていずれも架空人である同表記載の今立正三外四名名義の右保険申込書合計九通を夫々偽造した上云々と判示せられている。証拠説明の通り今立正三外四名名義の申込書の筆蹟が保険金額欄を除き他は被告の筆蹟にかかることは認められるが、これを以て被告が偽造したものであると断定することは出来ない。被告が擅に作成したものであれば偽造と云うことになるが、他から依頼せられて単なる機械的に代書したに過ぎぬとなれば偽造とはならない、要するに被告が擅に作成したものか或は他から依頼せられて機械的に代書したものであるか否かと云うことが問題である。野村証人の供述は第一点所論の理由で証拠としての価値はないもので被告の利益不利益に拘らず採用せらるべきものでないと信ずるが若し証拠としての価値を認められるなれば此の点に関しての野村の供述も調書の上からは必ずしも明かではないけれども、第一点所論の如くに弁護人の記憶を綜合し、つき進めて行くと今立正三外四名の架空名は野村が考え出したものであること。野村の供述通りに架空契約については被告と共謀の事実がないこと更に野村は代書を依頼する時は何時も自己の手控帳を出しては口述していたと云う安達証人の供述を綜合して考えると、此の今立正三外四名の申込書九通は必然に被告が野村の依頼によつて機械的に代書したものであると云う結論に導き得るのである。次に今立正三外二名の名下の三文判であるが、この点について野村は被告が押してくれたと述べ被告は誰れが押したかは覚えぬが代書をする時は既に押してあつたと思う、若し判が押してなければ代書をする筈がないと申し述べている、此の三文判は果して何人が押したものか安達証人は瀬田一成名義の申込書を野村に依頼され代書した時には既に三文判は押してあつたと供述し今立正三外二名名下の三文判は現に乙号証として領置されているし此の判は野村が所持していたものである。野村は此の判は郵政監察官が来た時被告が自分に預けたものであると供述しているが若し被告にやましい点があれば自分に累の及ぶそんなものを野村に渡す筈はなく直に毀滅して証拠を湮滅したことと思う、これは野村の被告を陷し入れんとする術策に外ならぬのである。昨年二、三月頃野村がポケット内に三文判を所持して居るを実見した安達証人の供述、野村と被告との間に判のことについて問答があり、野村は其の際貯金でさえ三文判であろうとどんな判でも自分の判として使えば自分の判となり、何等差支えはないのだから保険についても申込者の承諾さえあればどんな判でも差支えはないと云う趣旨のことを野村が云つて居るのを聞いたことがあるとの丸山証人の供述更に第一事実中の山下美江山下国夫名下の印判は何れも野村が氏名に応当する印判を他から借り受けて自分が押したものであると云う野村の供述を綜合して見ると今立正三外二名名下の三文判も何人が押したものか判断は出来るのである。
これに依つてこれを観るとき今立正三外四名の保険申込書は被告が野村久子に依頼せられて単に機械的に代書したものであつて直ちに被告に文書偽造罪の成立ありとは認められない。
被告に文書偽造の成立ありとせられた原判決は重大なる事実の誤認があるが、事実に誤認がないとすれば此の様な場合には被告に片面的共犯の成立することもあろうし又幇助にとどまることもあり得ようから如何なる理由に依つて被告に文書偽造罪の成立を認めたるかを明らかにしなければならない。此の点について明らかにせられていない原判決には理由に不備がある。
第四点架空人名義の私文書偽造は罪とならない。原判決は判示第一の架空人名義の私文書偽造は罪とならない旨の弁護人の主張に対して名義人は架空人であつても当該文書の形式及内容が普通一般の人をして真正な文書と誤認せしめる可能性があれば、それは文書の真正に対する公の信頼性を害する危険があるから文書偽造罪を構成するとし、弁護人の主張を排斥せられたが原判決引用の昭和二十四年四月十四日最高裁第一小法廷(判例集三巻四号五四一頁)の判決も原判決判示の如くに名義人が架空人であつても当該文書の形式及内容が普通一般の人をして真正な文書と誤認せしめる可能性を有する文書であれば私文書偽造罪を構成するものと解釈しなければならぬものではない。
惟うに此の最高裁の判決は日本に実在する米軍第一騎兵師団発行名義の木炭輸送証明書を偽造したものと判示せられた原審判決に対し、(一)発行名義人は架空の第一騎兵師団庶務課長ジーエムホワイトで米軍第一騎兵師団ではないこと(二)此の文書は日本官憲に示すことのみを目的とし一般人を対照としたものではないから文書に対する公の信頼性を害する危険がないこと(三)発行名義人である庶務課長ジーエムホワイトは架空人であるから文書偽造は成立しないとの上告論旨に対しての判断を示されたものであつて米軍第一騎兵師団庶務課長ジーエムホワイトなる架空人名義の木炭輸送証明書は原審判決で認定した通り日本に実在する米軍第一騎兵師団発行名義の文書と認め此の前提の下に爾余の論旨に対して文書偽造罪は法律上関係ある事実について文書の真正に対する公の信頼性を害する危険がある場合に成立する。
本件に於て米軍第一騎兵師団が日本に実在するものであることは顕著であり一般に知られているから、たとい庶務課長ジーエムホワイトは架空の人物であるとしても本件文書の形式内容は普通一般の人をして米軍第一騎兵師団発行の真正な文書と誤認せしめる可能性があり文書に対する公の信頼性を害する危険があるから原審が私文書偽造として処罰したのは当然であると原判決を維持せられたもので私文書偽造罪に於ては偽造せられた名義人は実在のものであることを要するとした従来の大審院判例を変更せられたものではないと思う、従つて第一事実を私文書偽造に問擬せられた原判決には法令の解釈に誤りがある。
第五点原判決判示の犯罪の成立があるとしても本件記録に現れた諸般の状況に鑑み原判決の量刑は尚加重である。